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[日语真题]2012年全国研究生入学考试考研日语试题

【文件归类】考研真题

【文件来源】中国法律硕士网(www.fashuo365.com

【考试年份】2012年1月

【考试科目】日语。满分100分

2012年全国硕士研究生入学统一考试日语试题

  Ⅰ.基礎知識(20点)

  次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答えは選択肢[A] [B] [C] [D]からもっとも適当なものを1つ選びなさい。

  ここ数年、一人暮らしの人たちが増えている。

  学生、結婚できない30代の男たち、シングルキャリアウーマン、( 1 )正真正銘の独身者から、離婚や配偶者に先に死なれた単身者に至るまで、一人暮らしの中味( 2 )いろいろである。

  単身者の割合は、全国では20%ということになる。この数字は年々伸びていくような気がする。なぜなら、女性の社会進出に伴い、結婚しない女性が急増するだろう( 3 )、その影響を受け、結婚してもらえない男性も増えると思われるからである。また、めでたく結婚した( 4 )、共稼ぎなどの時間的、経済的事情により、子供を作らない夫婦も増えており、出生率は減少の一途をたどり、家族の単位は少なくなるばかり。

  そこにきて、今の若い人たちは、親と同居することを好まないので、一人暮らしを余儀なくされる高齢者の数も増えてくるというわけである。( 5 )、そんな社会の変化にもかかわらず、今の日本社会は一人にとって、とても住みにくい社会構造になっている。つまり、社会の仕組みがすべて家族を前提としてなされているのである。

  例えば、家を借りる場合、単身者は大変苦労する。

  先日、私はこの問題に自ら直面し、ひどく驚いた。自分でいうのも変だが、私は引っ越し魔で、20代、30代はアパート、マンションを転々としていた。その時は別に不自由な思いをしたことがなく、一生、賃貸生活( 6 )いいと思っていた。今にして思えば、これは私が若かったから不都合を感じなかった( 7 )のことだったのである。

  同じ単身者でも、年とともに社会の受け入れ状態は悪くなる。若さゆえ、( 8 )に私は気がつかなかったのである。

  ( 9 )、今、私は40代なかばである。つい数日前、自宅が狭くなったので、アパートを借りようと思い立ち、不動産屋に行った。4畳半1間だが、3万円と安いので借りることに決めると、驚いたことに、連帯保証人を求められたのである。それも親か兄弟、つまり血縁ということだ。私は社会人として人並みに生活しているつもりだった。それなのに、自分の力だけでは部屋一つ借りられないのである。

  私の場合、親がまだ生きているからいい。( 10 )、親のいない人はどうしたらいいのか。不動産屋が言う( 11 )、血縁のいない場合は、友達でもいいが、身元と経済的にしっかりした方ということである。つまり、年収が少なくても、ギャンブルで明け暮れている人でも、家族のあるサラリーマンは信用するが、自由業の単身者は信用できないということになる。安心できる人に貸したい。大家さんの気持ちもわからないではないが、いくら親や兄弟( 12 )、連帯保証人にされるのは迷惑な話である。家族だから保証人になるのは当たり前という考え方自体、間違っている。

  不動産屋とケンカしているわけにはいかないので、親に書類を送ったが、お互いに気まずい思いをした。単身者の( 13 )は、部屋を借りる時ばかりではない。病気で入院する時も同様である。

  ( 1 )~( 12 )に入れるのにもっとも適切なものはどれか。

  1. [A] いわゆる [B] たんなる   [C] あるゆる [D] いかなる

  2. [A] を [B] が   [C] も    [D] で

  3. [A] と     [B] が      [C] に      [D] し

  4. [A] だけで  [B] につけ    [C] にせよ    [D] ばかりに

  5. [A] もしくは  [B] ところが   [C] それとも   [D] すなわち

  6. [A] を    [B] に     [C] は       [D] で

  7. [A] など     [B] もの       [C] まま     [D] まで

  8. [A] そのこと  [B] そのまま    [C] そのもの   [D] そのたび

  9. [A] また    [B] さて      [C] では     [D] かつ

  10. [A] しかし   [B] だから     [C] それで    [D] さらに

  11. [A] とは   [B] では      [C] には     [D] ので

  12. [A] とみても  [B] だからといって  [C] だからこそ  [D] といえば

  13. [A] 不注意    [B] 不都合      [C] 不合理    [D] 不作法

  14. 文中の「死なれた」の「(ら)れる」と同じ使い方のものはどれか。

  [A] 今日は、忙しいときに、客に来られて何もできなかった。

  [B] 明日の会議は、午後3時に開かれることになっています。

  [C] 朝5時出発するなんて、そんなに早くは起きられないよ。

  [D] 今回の論文発表の件について、先生はどう思われますか。

  15. 文中の「すべて家族を前提として」の「として」と同じ使い方のものはどれか。

  [A] 祖父は散歩を日課として毎朝6時には家を出て、公園へ向かう。

  [B] 昨日からの大雪は、一夜明けた今も依然として降り続いている。

  [C] 高級品ばかりで、一つとして私が買えそうな品物は見当たらない。

  [D] 今回の事故については、会社側としてできるだけの補償をします。

  16. 文中の「人並みに生活しているつもり」の「つもり」と同じ使い方のものはどれか。

  [A] 今年のボーナスは旅行したつもりで貯金することにしました。

  [B] 私も参加するつもりだったのだが、都合で行けなくなりました。

  [C] よく調べて書いたつもりだが、まだ間違いがあるかもしれない。

  [D] 私は今年結婚するつもりでいたが、都合で来年の春に延期した。

  17. 文中の「しっかりした方」の「しっかり」と同じ意味のものはどれか。

  [A] もう少ししっかり勉強しないと、落第するよ。

  [B] 授業中は、先生の話をしっかり聞きなさい。

  [C] 一郎さんはまだ若いけど、しっかりしている。

  [D] 埃が多いので、窓はしっかり閉めてください。

  18. 文中の「ケンカしているわけにはいかない」の解釈として、最も適切なものはどれか。

  [A] ケンカするはずがない。

  [B] ケンカするつもりがない。

  [C] ケンカすることができない。

  [D] ケンカしないではいられない。

  19. 文中「好まない」の「好」の読み方はどれか。

  [A] こ        [B] す       [C] すき      [D] この

  20. 文中「身元」の読み方はどれか。

  [A] しんげん    [B] しんもと   [C] みもと     [D] みげん

  読解

  [一]

  世界的に見れば、たいして広くない国土に、日本ほど多様なタイプの森が存在するところは少ないといわれている。森林が多様であるということは、樹木の種類の多さの証明である。豊かな森林とは、そうした多種類の木々によってつくられる様々な恵みを持っている。そしてそれは、その恵みによって、鳥や獣や小動物、昆虫、菌類、さらに多くの植物たちが生きてゆくことのできる巨大な生命体といっていいだろう。人間は、その自然の恩恵を受けてきたのである。

  何千年、何万年という歳月の、森と人との関わりが、今の人間の文明や文化の基礎となったのはいうまでもないが、ここに森林の多様性がなかったならば、今の暮らしにある複雑で多様な文化はできなかったに違いない。

  だが、実際に日本の森を旅してみて、その自然の内容の乏しさに落胆せざるを得なかった。戦後、特に高度経済成長時代の、数字上の生産性を重視する政策によって、今、日本の本来の森は消し去られようとしている。

  森林面積は確かに広い。だが、その森林の内容は杉(すぎ)、桧(ひのき)、落葉松(からまつ)のみと言えるほど、単調な人工林の連なりである。あまりに安易な人工林が多い。生き物の暮らすことのできない、建築材を得るための偏った生産の場となってしまっている。もちろん人工の森は必要である。人の手による芸術に近い森林に出会えることもある。

  ヨーロッパの自然を見ると、それがさらに鮮明である。もしヨーロッパの自然が豊かだと感じるならば、それは農地が作り上げた伝統的な美である。見るべき本来の自然は国立公園の一部にしか残っていない。だが今の日本では、国立公園ですら森林の伐採が続き、日ごとに自然は失われている。

  確かに、いま都会で生活する人にとって、森林は生きるための切実な自然とは感じられないのではないだろうか。鉢植えの緑、公園の木々、歩道の花壇といった身の回りの人工的な自然に慣れた目には、緑とは人が面倒を見なければ駄目になってしまうのだ、という感覚が支配している。これでは自然と人間の関係が、完全に逆転した発想が生まれてしまう。いま、再び森へ出かけ、森と人の未来を見つめてみたいものである。

  21.文中の「それ」とは何を指すか。

  「A」多様な植物  「B」多様な動物  「C」多様な森林   「D」多様な恩恵

  22.、文中の「自然の恩恵」とは何を指すか。

  「A」植物たちからの恩恵        「B」動物たちからの恩恵

  「C」本来の森からの恩恵        「D」巨大な生命体からの恩恵

  23、文中の「本来の森は消し去られようとしている」とあるが、それはなぜか。

  「A」高度経済成長時代、森林伐採の数字上の生産性だけを重視する政策をとり、森が急速に減少したから

  「B」建築材料を得るために、単調な人工林はもちろん、芸術に近い森林などを連なるように多く造りすぎているから

  「C」日本では、国立公園内も本来の森林と同じように伐採が続き、日ごとに自然は失われつつあるから

  「D」森は建築材を得るための偏った生産の場となってしまい、生き物が生きにくくなってしまっているから

  24、第五段落のヨーロッパの自然を取り上げた意図は何か。

  「A」日本の森林が減少しているだけでなく、国立公園内での人工林が多くなりつつあるということを嘆いている。

  「B」ヨーロッパの自然と日本の自然は、あまりにも鮮明であるということを人々に教え、日本にも農地の美を造ろうと呼びかけている。

  「C」ヨーロッパでは、日本のように本来の森林が、国立公園の一部にしか残っていないということを強調するところにある。

  「D」今の日本では、生き物が暮らすことのできる森林が、ヨーロッパ以上急速に失われているということを強調するところにある。

  25、文中の「いま、再び森へ出かけ、……ものである」とあるが、それはなぜか。

  「A」都会生活を続けていると、人工的な自然を見るのが好きになってしまうから

  「B」都会生活を続けていると、鉢植えも自然そのものであると思ってしまうから

  「C」都会生活を続けていると、自然と人間の関係が反対に感じられてしまうから

  「D」都会生活を続けていると、自然に接する楽しさを忘れがちになってしまうから

  [二]

  人生の道でわたしどもが出会うわかれ道は、たくさんある。そして、多くはそれとも( ア )、右へ左へ無意識にそれを選んで進んでいる。そして、時々、何か不都合なことや失敗が起こったときに、自分の歩んできた道を逆にたどってみると、右へ行くべきところを左へ行っていたり、急ぐべきところでぐずぐずしていたりしたといった、不都合や失敗の原因が思い当たるものである。

  すべての失敗の原因が、それに気づかなかった自分の内部にのみあると断定してしまうことはない。人間として予知できないことが原因となっていることも多い。そして、そのために、かえって幸せをつかみとることもある。( イ )、わたしどもは、自分についても、運がよかったとか、運が悪かったとか、そういう言葉を使って、自分の喜びをさらに大きなものにしたり、あるいは自分の苦しみやつらさを慰めたりする。

  しかし、食べ物を食べ過ぎて腹をこわしたとなると、それを食べているときに分かれ道があったはずである。すこし控え目に食べておけばよかったものを、うまいうまいと、満腹してもなお詰め込んだのがよくなかった。

  つまり、わたしどもの前にも後ろにも、わかれ道はたくさんあるけれども、その中で自分では予知できないものもあるし、また気をつけていれば、落ち着いて考えて、どっちの道をとればいいか、自分で選べるものもあるということである。自分で道を選ぶ力、これが大切である。

  いま、もう40、50になっている大人の中には、道を間違えたと言って後悔をしている人が多い、ただあきらめ、自分の選んだ道は間違っていたけれど、今さら文句を言っても嘆いてもしかたがないと考えて、普通は黙っている。けれども、時々そのことを思い出して、他人を恨んでいる。これはつまらないことだと思う。

  ところで、わかれ道のことで、もう一つ大切なことを付け加えておかなければならない。左へ行くほうがよいか、右へ進むほうが自分にはふさわしいか、それで迷ってどっちかへ決めたあと、また考えが変わって、やっぱり向こうのほうがよかったのではあるまいかと、いつまでもくよくよする人がいる。これはいちばん愚かではないかと思う。そういう人は、いつまでもわかれ道の所でうろうろしていて、どっちへも進めない人である。

  26、文中の( ア )に入れるものはどれか。

  「A」気づかずに         「B」気づいて

  「C」気づくように        「D」気づかないように

  27、文中に「道を逆にたどってみる」とあるが、どんな時に道を逆にたどるか。

  「A」人生の途中で、予想どおりにいかず、つまずいたりしたとき

  「B」人生のわかれ道で、自分で選択した道を急いでいるとき

  「C」人生のわかれ道で、右へ行くか左へ行くかためらっているとき

  「D」人生の途中で、わかれ道に出会い、ぐずぐずしているとき

  28、文中の( イ )に入れるものはどれか。

  「A」だから    「B」ただし    「C」むしろ   「D」または

  29、文中に「普通は黙っている」とあるが、それはなぜか。

  「A」文句を言いたくても言う相手が見つからず、どうしようもないから

  「B」すでに結果が出てしまい、後悔してもどうすることもできないから

  「C」普通、自分では原因が分からず、恨みたくても恨む対象がないから

  「D」最初から自分が選んだ道であり、今もそれがいいと思っているから

  30、筆者がこの文章でもっとも言いたいことは何か。

  「A」慎重に考えるのはいいが、うろうろしないことがもっとも大事である。

  「B」道を決めた後は、向こうがよかったのだと後悔しないことが大事である。

  「C」分れ道のところで立ち止まってしまわないことがもっとも大事である。

  「D」進むべき方向を選択できる能力を身につけることがもっとも大事である。

  [三]

  わたしがA国から帰国してまもなく見た新聞に、「もう泣き寝入り(忍气吞声)すまい」という投書が載っていた。交通事故で、自分が悪くないのに謝ったりしては大損(吃大亏)だという体験談である。A国の人があれを読んだら、そのあまりにも日本的な現象に驚きあきれるだろう。

  民族が違うと、ものの考え方もこのように違う。それは日本とA国と「とちらが良い(あるいは悪い)」ということではなく、「違う」という事実が重要なのである。

  普通わたしたちは自分のことを「日本人」と規定している。しかし日本人としてのわたしたちとは、具体的にはどういう民族なのだろうか。どこの国に限らず、自分たちの民族的性格や特徴は案外知らないものだ。何かを知るということは、その「何か」を「他」から識別し、取り出すことでもある。まず「他」を知らなければ「何か」を識別することはできない。私たち自身を知るためには他民族を知ることがその第一歩なのだ。地球上のさまざまな民族と接してみると、わたしたちがあたりまえと思っていることが他民族には全く通用しない例がよくある。そうした事実を知って初めて、私たちは自らを客観化し、知ることができるようになる。

  簡単な例を挙げよう。わたしたちがコメと言うとき、それは煮る前のコメツブのことであって、食べるときのメシ(ゴハン)のことではない。しかし英語ではとちらもrice(ライス)である。

  もう少し複雑な例を挙げよう。魚のブリは、日本語だとその成長段階に応じてシオワカナ、ツバス、ワカナ、ハマチ、モンダイ、ブリ(明石地方の場合)とよび分ける。しかし英語ではすべてyellowtail(イエローティル)だ。

  もっと複雑な例として、ベドウィン(砂漠を遊牧しているアラブ人を指す)によるラクダのよび方がる。日本語では「ラクダ」の一語だが、アラビア語ではその各成長段階はもちろん、「乗用」や「荷運び」のような用途別、さらに「妊娠したラクダ」「草を食っているラクダ」など、実に200とおり近くもの単語に細分されている。エスキモー(爱斯基摩人)の場合は雪がそれに当たるだろう。「激しく吹き付ける雪」「吹きだまりの雪」「地面を広く覆う雪」「飲料水用に溶かすための雪」といったさまざまな状態・用途に応じて大変細かく命名されている。

  なぜこのような違いができるのだろうか。それは例えばエスキモーにとっての雪の場合、日本人にとっての雪とは比べ物にならぬほど生活と密接に結びついているからである。エスキモーが生きてゆくためには、北極地方の風土を支配する雪への深い関心がなければならず、関心が深ければ深いほどその対象を表わす言葉も豊富になる。

  31、文中「日本的な現象」とはどういうことか。

  「A」自分は悪くないので謝る必要はないこと

  「B」自分は悪くないのに先に謝ってしまうこと

  「C」自分は悪くないので絶対に謝ろうとしないこと

  「D」自分は悪くないのに謝って誤解されてしまうこと

  32、文中「どこの国に限らず、……案外知らないものだ」とはどういう意味か。

  「A」どの国も自分の国のことなら知っているようだが、実はそうではない。

  「B」どの国も自分の国のことなら何でも知っているのが当たり前である。

  「C」どの国も自分の国や他の国のことは少ししか知らないのが普通である。

  「D」どの国も自分の国以外に他の国のことを多少知っているのが常識である。

  33、文中の「それ」とは何を指すか。

  「A」日本語の「ブリ」       「B」日本語の「ラクダ」

  「C」アラビア語の「ラクダ」    「D」日本語の「ブリ」とアラビア語の「ラクダ」

  34、この文章の内容に合わないものはどれか。

  「A」ある民族で当然と思えることでも、他民族では理解できないこともある。

  「B」対象に対する言葉が豊富になるのは、それに対する関心が深いからである。

  「C」「他」を知るということは、まず自身をよく知るということが大切である。

  「D」対象に対する言葉が貧弱であるのは、生活との関係が深くないからである。

  35、この文章に題目をつけるとしたら、もっともふさわしいものはどれか。

  「A」民族と文化          「B」生活と文化

  「C」国家と言葉          「D」文化と言葉

  四

  「地球は汚れているといわれるが、万一地球に住めなくなったら、どこかほかの天体へ移住すればよいだろう」という人がある。また、「汚れのない宇宙空間で生活し、ときどき宇宙船で地球へ働きに来ればよい」との夢を語る人もある。

  宇宙科学が発達し、人工衛星も改良されつつあるので、そんな宇宙時代が間近に迫っているという楽観説を流す人もいる。しかし、それはあまりにも無責任である。現在のところ、われわれが生物の存在を確認している天体は、この地球だけである。確かに宇宙は広くて全宇宙には約1000億個の星が地球と似た環境を持つといわれ、それに生物が存在する可能性は否定できない。

  しかし、それらは、現在の人間の能力をもってしてはとうてい到達できない宇宙の遥か彼方にある星である。また、人間の寿命が限られていること、人間を移動させるときに人体が耐えられる速度にも限りがあることなど考え合せると、未来に人間の住める可能性のある星が( ア )、そこへ行くだけで、何代もの人間が必要ということになってしまうに違いない。

  この地球が人間をはじめ多くの生物にとってかけがえのない星であることは、いくつかの条件を考えれば、納得ができるであろう。どうして太陽系のなかで、地球にだけ生物の存在が許されるのだろうか。それにはいくつかの理由がある。

  第1は、太陽からの距離が適当なことである。つまり、適当な太陽光を受けるので、水がすべて蒸発して水蒸気となったり、あるいは冷えすぎて氷になったりするのでなく、液体の状態で存在できる。このことが可能な太陽系の天体は、金星、地球、火星の3つしかなく、しかも地球はそれらのなかで中心に位置している。また、地球の太陽からの距離は植物が光合成を行うのにちょうどよい量の太陽エネルギーを得る距離である。

  第2は、地球の大きさである。その大きさに基づく重力の強さによって、酸素は窒素などの大気を地球の周りにつなぎとめておくことができる。もし、地球が月のように小さかったとしたら、重力が弱くて大気を周りにとどめておくことは難しいと考えられる。

  第3は、地球が自転していることである。自転によって、表面の一方だけが太陽光を受けるのではなく、地球全面に満遍なく(均匀)太陽光が注がれることになった。

  こうしたいわば天文学上の理由も、地球が生物にとってかけがえのない(无法替代的)星であることを示している。

  36、文中の「それ」とは何を指すか。

  [A] 地球が汚れてきて住めなくなってきているという説

  [B] 汚れのない宇宙空間は広大で、人間はいくらでも住むことできるという説

  [C] 宇宙科学が発達し、ほかの天体へ移住できる時代が間近に迫っているという説

  [D] 人間が住める環境をもった天体は、広大な宇宙には約1000億個もあるという説

  37、文中に「無責任である」とあるが、なぜ無責任というのか。

  [A] 人間が住める天体に移住するのは現在の人間の能力では不可能だから

  [B] 宇宙には無数の天体があるが、生物が住めるところはなさそうだから

  [C] 人間が住める天体には、われわれの地球と同様に生物が存在するから

  [D] 生物が存在できなくなるまで地球を汚した責任は人間自身にあるから

  38、文中の( ア )に入れるものはどれか。

  [A] 見つかったから        [B] 見つかったならば

  [C] 見つかったときに       [D] 見つかったとしても

  39、文中に「天文学上の理由も、……示している」とあるが、天文学上の理由として該当しないものはどれか。

  [A] 太陽と地球の間の距離が適当なので、太陽の光を適当に受けて水が液体の状態で存在できること

  [B] 地球が自転しているため、地球の表面に一方だけでなく、全面に同じように太陽光が注がれることになったこと

  [C] 地球の大きさが適当なので、酸素や窒素などの大気を周りにつなぎとめておくことができるくらいの重力を生み出していること

  [D] 植物が大気中の炭酸ガスを吸収し酸素を放出するという光合成を行っているので、地球上の大気には適度の酸素が含まれていること

  40、筆者がこの文章でもっとも言いたいことは何か

  [A] 他の天体に人間が行くには、何代もの人間が必要になるので、国際的協力と十分な準備が必要となる。

  [B] 地球は人間をはじめ多くの生物にとってかけがえのない星であるから、人間は地球を汚さないようにする責任がある。

  [C] 地球に似た環境をもつ星は全宇宙に約1000億個あるといわれているが、その中で人が住める星を確認しなければならない

  [D] 地球の汚れがいっそう激しくなる可能性があるので、他の天体へ人間が移り住めるようにするため、宇宙科学の発達を急ぐ必要がある。

  B、次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。

  41.現代人は、テレビのために、読書の時間を少なからず奪われているといわれる。ところが、このテレビによって、書物からはとうてい得ることのできない、いろいろな知識や楽しみを与えられることが多い。だから、テレビのために読書の時間が奪われるとするのは誤りで、むしろ読書のほかに、テレビを視聴することが増えたというべきだろう。

  42.しかし、テレビは映画と同じく、それを見る人間に絶対服従を要求する。見る人とは、常に受け身の立場におかれる。しかもテレビは見ている途中で、足踏み(停頓)をしたり、後戻りをしたりすることができない。私たちは、受け身の知識活動にばかり慣らされていると、いつの間にか自主的判断を失ってしまい、ものをつきつめて考える根気と能力とをなくしてしまう結果になる。

  43.読書はその点から考えると、積極的な知的活動を必要とする、しかも気に入った箇所は、そこで立ち止まってゆっくり考えたり、後戻りして読み返したりすることができる。

  44.近年、テレビの普及率がますます高まると同時に、本もよく売れているというのは大いに喜ぶべきことで、これは、テレビと読書の双方をたのしむ人が増加したことを示すものであろう。

  45.そこでわたしは、テレビと読書との新しい協力の仕方がないものだろうかと考える。書物では容易に表現できないもの、また、テレビではどうしても満足させることのできないものを、相互に補い合って、たとえば、視聴する書物、読むテレビといったものが作れないだろうか。

  Ⅲ.作文(25点)

  46.次の指示にしたがって、450字~500字の作文を書きなさい。

  私たちは何かの試合を見るとき、よく自分の好きなチームを応援するが、時には、相手チームを応援したくなることもあろう。「試合と応援」を題目に、あなたの考えを作文に書きなさい。

  注意:①漢字を使うべきところは漢字を使うこと。

  ②「だ・である」体で書くこと

[日语真题]2012年全国研究生入学考试考研日语试题

【文件归类】考研真题

【文件来源】中国法律硕士网(www.fashuo365.com

【考试年份】2012年1月

【考试科目】日语。满分100分

2012年全国硕士研究生入学统一考试 日语试题题

  Ⅰ.基礎知識(20点)

  次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答えは選択肢[A] [B] [C] [D]からもっとも適当なものを1つ選びなさい。

  ここ数年、一人暮らしの人たちが増えている。

  学生、結婚できない30代の男たち、シングルキャリアウーマン、( 1 )正真正銘の独身者から、離婚や配偶者に先に死なれた単身者に至るまで、一人暮らしの中味( 2 )いろいろである。

  単身者の割合は、全国では20%ということになる。この数字は年々伸びていくような気がする。なぜなら、女性の社会進出に伴い、結婚しない女性が急増するだろう( 3 )、その影響を受け、結婚してもらえない男性も増えると思われるからである。また、めでたく結婚した( 4 )、共稼ぎなどの時間的、経済的事情により、子供を作らない夫婦も増えており、出生率は減少の一途をたどり、家族の単位は少なくなるばかり。

  そこにきて、今の若い人たちは、親と同居することを好まないので、一人暮らしを余儀なくされる高齢者の数も増えてくるというわけである。( 5 )、そんな社会の変化にもかかわらず、今の日本社会は一人にとって、とても住みにくい社会構造になっている。つまり、社会の仕組みがすべて家族を前提としてなされているのである。

  例えば、家を借りる場合、単身者は大変苦労する。

  先日、私はこの問題に自ら直面し、ひどく驚いた。自分でいうのも変だが、私は引っ越し魔で、20代、30代はアパート、マンションを転々としていた。その時は別に不自由な思いをしたことがなく、一生、賃貸生活( 6 )いいと思っていた。今にして思えば、これは私が若かったから不都合を感じなかった( 7 )のことだったのである。

  同じ単身者でも、年とともに社会の受け入れ状態は悪くなる。若さゆえ、( 8 )に私は気がつかなかったのである。

  ( 9 )、今、私は40代なかばである。つい数日前、自宅が狭くなったので、アパートを借りようと思い立ち、不動産屋に行った。4畳半1間だが、3万円と安いので借りることに決めると、驚いたことに、連帯保証人を求められたのである。それも親か兄弟、つまり血縁ということだ。私は社会人として人並みに生活しているつもりだった。それなのに、自分の力だけでは部屋一つ借りられないのである。

  私の場合、親がまだ生きているからいい。( 10 )、親のいない人はどうしたらいいのか。不動産屋が言う( 11 )、血縁のいない場合は、友達でもいいが、身元と経済的にしっかりした方ということである。つまり、年収が少なくても、ギャンブルで明け暮れている人でも、家族のあるサラリーマンは信用するが、自由業の単身者は信用できないということになる。安心できる人に貸したい。大家さんの気持ちもわからないではないが、いくら親や兄弟( 12 )、連帯保証人にされるのは迷惑な話である。家族だから保証人になるのは当たり前という考え方自体、間違っている。

  不動産屋とケンカしているわけにはいかないので、親に書類を送ったが、お互いに気まずい思いをした。単身者の( 13 )は、部屋を借りる時ばかりではない。病気で入院する時も同様である。

  ( 1 )~( 12 )に入れるのにもっとも適切なものはどれか。

  1. [A] いわゆる [B] たんなる   [C] あるゆる [D] いかなる

  2. [A] を [B] が   [C] も    [D] で

  3. [A] と     [B] が      [C] に      [D] し

  4. [A] だけで  [B] につけ    [C] にせよ    [D] ばかりに

  5. [A] もしくは  [B] ところが   [C] それとも   [D] すなわち

  6. [A] を    [B] に     [C] は       [D] で

  7. [A] など     [B] もの       [C] まま     [D] まで

  8. [A] そのこと  [B] そのまま    [C] そのもの   [D] そのたび

  9. [A] また    [B] さて      [C] では     [D] かつ

  10. [A] しかし   [B] だから     [C] それで    [D] さらに

  11. [A] とは   [B] では      [C] には     [D] ので

  12. [A] とみても  [B] だからといって  [C] だからこそ  [D] といえば

  13. [A] 不注意    [B] 不都合      [C] 不合理    [D] 不作法

  14. 文中の「死なれた」の「(ら)れる」と同じ使い方のものはどれか。

  [A] 今日は、忙しいときに、客に来られて何もできなかった。

  [B] 明日の会議は、午後3時に開かれることになっています。

  [C] 朝5時出発するなんて、そんなに早くは起きられないよ。

  [D] 今回の論文発表の件について、先生はどう思われますか。

  15. 文中の「すべて家族を前提として」の「として」と同じ使い方のものはどれか。

  [A] 祖父は散歩を日課として毎朝6時には家を出て、公園へ向かう。

  [B] 昨日からの大雪は、一夜明けた今も依然として降り続いている。

  [C] 高級品ばかりで、一つとして私が買えそうな品物は見当たらない。

  [D] 今回の事故については、会社側としてできるだけの補償をします。

  16. 文中の「人並みに生活しているつもり」の「つもり」と同じ使い方のものはどれか。

  [A] 今年のボーナスは旅行したつもりで貯金することにしました。

  [B] 私も参加するつもりだったのだが、都合で行けなくなりました。

  [C] よく調べて書いたつもりだが、まだ間違いがあるかもしれない。

  [D] 私は今年結婚するつもりでいたが、都合で来年の春に延期した。

  17. 文中の「しっかりした方」の「しっかり」と同じ意味のものはどれか。

  [A] もう少ししっかり勉強しないと、落第するよ。

  [B] 授業中は、先生の話をしっかり聞きなさい。

  [C] 一郎さんはまだ若いけど、しっかりしている。

  [D] 埃が多いので、窓はしっかり閉めてください。

  18. 文中の「ケンカしているわけにはいかない」の解釈として、最も適切なものはどれか。

  [A] ケンカするはずがない。

  [B] ケンカするつもりがない。

  [C] ケンカすることができない。

  [D] ケンカしないではいられない。

  19. 文中「好まない」の「好」の読み方はどれか。

  [A] こ        [B] す       [C] すき      [D] この

  20. 文中「身元」の読み方はどれか。

  [A] しんげん    [B] しんもと   [C] みもと     [D] みげん

  読解

  [一]

  世界的に見れば、たいして広くない国土に、日本ほど多様なタイプの森が存在するところは少ないといわれている。森林が多様であるということは、樹木の種類の多さの証明である。豊かな森林とは、そうした多種類の木々によってつくられる様々な恵みを持っている。そしてそれは、その恵みによって、鳥や獣や小動物、昆虫、菌類、さらに多くの植物たちが生きてゆくことのできる巨大な生命体といっていいだろう。人間は、その自然の恩恵を受けてきたのである。

  何千年、何万年という歳月の、森と人との関わりが、今の人間の文明や文化の基礎となったのはいうまでもないが、ここに森林の多様性がなかったならば、今の暮らしにある複雑で多様な文化はできなかったに違いない。

  だが、実際に日本の森を旅してみて、その自然の内容の乏しさに落胆せざるを得なかった。戦後、特に高度経済成長時代の、数字上の生産性を重視する政策によって、今、日本の本来の森は消し去られようとしている。

  森林面積は確かに広い。だが、その森林の内容は杉(すぎ)、桧(ひのき)、落葉松(からまつ)のみと言えるほど、単調な人工林の連なりである。あまりに安易な人工林が多い。生き物の暮らすことのできない、建築材を得るための偏った生産の場となってしまっている。もちろん人工の森は必要である。人の手による芸術に近い森林に出会えることもある。

  ヨーロッパの自然を見ると、それがさらに鮮明である。もしヨーロッパの自然が豊かだと感じるならば、それは農地が作り上げた伝統的な美である。見るべき本来の自然は国立公園の一部にしか残っていない。だが今の日本では、国立公園ですら森林の伐採が続き、日ごとに自然は失われている。

  確かに、いま都会で生活する人にとって、森林は生きるための切実な自然とは感じられないのではないだろうか。鉢植えの緑、公園の木々、歩道の花壇といった身の回りの人工的な自然に慣れた目には、緑とは人が面倒を見なければ駄目になってしまうのだ、という感覚が支配している。これでは自然と人間の関係が、完全に逆転した発想が生まれてしまう。いま、再び森へ出かけ、森と人の未来を見つめてみたいものである。

  21.文中の「それ」とは何を指すか。

  「A」多様な植物  「B」多様な動物  「C」多様な森林   「D」多様な恩恵

  22.、文中の「自然の恩恵」とは何を指すか。

  「A」植物たちからの恩恵        「B」動物たちからの恩恵

  「C」本来の森からの恩恵        「D」巨大な生命体からの恩恵

  23、文中の「本来の森は消し去られようとしている」とあるが、それはなぜか。

  「A」高度経済成長時代、森林伐採の数字上の生産性だけを重視する政策をとり、森が急速に減少したから

  「B」建築材料を得るために、単調な人工林はもちろん、芸術に近い森林などを連なるように多く造りすぎているから

  「C」日本では、国立公園内も本来の森林と同じように伐採が続き、日ごとに自然は失われつつあるから

  「D」森は建築材を得るための偏った生産の場となってしまい、生き物が生きにくくなってしまっているから

  24、第五段落のヨーロッパの自然を取り上げた意図は何か。

  「A」日本の森林が減少しているだけでなく、国立公園内での人工林が多くなりつつあるということを嘆いている。

  「B」ヨーロッパの自然と日本の自然は、あまりにも鮮明であるということを人々に教え、日本にも農地の美を造ろうと呼びかけている。

  「C」ヨーロッパでは、日本のように本来の森林が、国立公園の一部にしか残っていないということを強調するところにある。

  「D」今の日本では、生き物が暮らすことのできる森林が、ヨーロッパ以上急速に失われているということを強調するところにある。

  25、文中の「いま、再び森へ出かけ、……ものである」とあるが、それはなぜか。

  「A」都会生活を続けていると、人工的な自然を見るのが好きになってしまうから

  「B」都会生活を続けていると、鉢植えも自然そのものであると思ってしまうから

  「C」都会生活を続けていると、自然と人間の関係が反対に感じられてしまうから

  「D」都会生活を続けていると、自然に接する楽しさを忘れがちになってしまうから

  [二]

  人生の道でわたしどもが出会うわかれ道は、たくさんある。そして、多くはそれとも( ア )、右へ左へ無意識にそれを選んで進んでいる。そして、時々、何か不都合なことや失敗が起こったときに、自分の歩んできた道を逆にたどってみると、右へ行くべきところを左へ行っていたり、急ぐべきところでぐずぐずしていたりしたといった、不都合や失敗の原因が思い当たるものである。

  すべての失敗の原因が、それに気づかなかった自分の内部にのみあると断定してしまうことはない。人間として予知できないことが原因となっていることも多い。そして、そのために、かえって幸せをつかみとることもある。( イ )、わたしどもは、自分についても、運がよかったとか、運が悪かったとか、そういう言葉を使って、自分の喜びをさらに大きなものにしたり、あるいは自分の苦しみやつらさを慰めたりする。

  しかし、食べ物を食べ過ぎて腹をこわしたとなると、それを食べているときに分かれ道があったはずである。すこし控え目に食べておけばよかったものを、うまいうまいと、満腹してもなお詰め込んだのがよくなかった。

  つまり、わたしどもの前にも後ろにも、わかれ道はたくさんあるけれども、その中で自分では予知できないものもあるし、また気をつけていれば、落ち着いて考えて、どっちの道をとればいいか、自分で選べるものもあるということである。自分で道を選ぶ力、これが大切である。

  いま、もう40、50になっている大人の中には、道を間違えたと言って後悔をしている人が多い、ただあきらめ、自分の選んだ道は間違っていたけれど、今さら文句を言っても嘆いてもしかたがないと考えて、普通は黙っている。けれども、時々そのことを思い出して、他人を恨んでいる。これはつまらないことだと思う。

  ところで、わかれ道のことで、もう一つ大切なことを付け加えておかなければならない。左へ行くほうがよいか、右へ進むほうが自分にはふさわしいか、それで迷ってどっちかへ決めたあと、また考えが変わって、やっぱり向こうのほうがよかったのではあるまいかと、いつまでもくよくよする人がいる。これはいちばん愚かではないかと思う。そういう人は、いつまでもわかれ道の所でうろうろしていて、どっちへも進めない人である。

  26、文中の( ア )に入れるものはどれか。

  「A」気づかずに         「B」気づいて

  「C」気づくように        「D」気づかないように

  27、文中に「道を逆にたどってみる」とあるが、どんな時に道を逆にたどるか。

  「A」人生の途中で、予想どおりにいかず、つまずいたりしたとき

  「B」人生のわかれ道で、自分で選択した道を急いでいるとき

  「C」人生のわかれ道で、右へ行くか左へ行くかためらっているとき

  「D」人生の途中で、わかれ道に出会い、ぐずぐずしているとき

  28、文中の( イ )に入れるものはどれか。

  「A」だから    「B」ただし    「C」むしろ   「D」または

  29、文中に「普通は黙っている」とあるが、それはなぜか。

  「A」文句を言いたくても言う相手が見つからず、どうしようもないから

  「B」すでに結果が出てしまい、後悔してもどうすることもできないから

  「C」普通、自分では原因が分からず、恨みたくても恨む対象がないから

  「D」最初から自分が選んだ道であり、今もそれがいいと思っているから

  30、筆者がこの文章でもっとも言いたいことは何か。

  「A」慎重に考えるのはいいが、うろうろしないことがもっとも大事である。

  「B」道を決めた後は、向こうがよかったのだと後悔しないことが大事である。

  「C」分れ道のところで立ち止まってしまわないことがもっとも大事である。

  「D」進むべき方向を選択できる能力を身につけることがもっとも大事である。

  [三]

  わたしがA国から帰国してまもなく見た新聞に、「もう泣き寝入り(忍气吞声)すまい」という投書が載っていた。交通事故で、自分が悪くないのに謝ったりしては大損(吃大亏)だという体験談である。A国の人があれを読んだら、そのあまりにも日本的な現象に驚きあきれるだろう。

  民族が違うと、ものの考え方もこのように違う。それは日本とA国と「とちらが良い(あるいは悪い)」ということではなく、「違う」という事実が重要なのである。

  普通わたしたちは自分のことを「日本人」と規定している。しかし日本人としてのわたしたちとは、具体的にはどういう民族なのだろうか。どこの国に限らず、自分たちの民族的性格や特徴は案外知らないものだ。何かを知るということは、その「何か」を「他」から識別し、取り出すことでもある。まず「他」を知らなければ「何か」を識別することはできない。私たち自身を知るためには他民族を知ることがその第一歩なのだ。地球上のさまざまな民族と接してみると、わたしたちがあたりまえと思っていることが他民族には全く通用しない例がよくある。そうした事実を知って初めて、私たちは自らを客観化し、知ることができるようになる。

  簡単な例を挙げよう。わたしたちがコメと言うとき、それは煮る前のコメツブのことであって、食べるときのメシ(ゴハン)のことではない。しかし英語ではとちらもrice(ライス)である。

  もう少し複雑な例を挙げよう。魚のブリは、日本語だとその成長段階に応じてシオワカナ、ツバス、ワカナ、ハマチ、モンダイ、ブリ(明石地方の場合)とよび分ける。しかし英語ではすべてyellowtail(イエローティル)だ。

  もっと複雑な例として、ベドウィン(砂漠を遊牧しているアラブ人を指す)によるラクダのよび方がる。日本語では「ラクダ」の一語だが、アラビア語ではその各成長段階はもちろん、「乗用」や「荷運び」のような用途別、さらに「妊娠したラクダ」「草を食っているラクダ」など、実に200とおり近くもの単語に細分されている。エスキモー(爱斯基摩人)の場合は雪がそれに当たるだろう。「激しく吹き付ける雪」「吹きだまりの雪」「地面を広く覆う雪」「飲料水用に溶かすための雪」といったさまざまな状態・用途に応じて大変細かく命名されている。

  なぜこのような違いができるのだろうか。それは例えばエスキモーにとっての雪の場合、日本人にとっての雪とは比べ物にならぬほど生活と密接に結びついているからである。エスキモーが生きてゆくためには、北極地方の風土を支配する雪への深い関心がなければならず、関心が深ければ深いほどその対象を表わす言葉も豊富になる。

  31、文中「日本的な現象」とはどういうことか。

  「A」自分は悪くないので謝る必要はないこと

  「B」自分は悪くないのに先に謝ってしまうこと

  「C」自分は悪くないので絶対に謝ろうとしないこと

  「D」自分は悪くないのに謝って誤解されてしまうこと

  32、文中「どこの国に限らず、……案外知らないものだ」とはどういう意味か。

  「A」どの国も自分の国のことなら知っているようだが、実はそうではない。

  「B」どの国も自分の国のことなら何でも知っているのが当たり前である。

  「C」どの国も自分の国や他の国のことは少ししか知らないのが普通である。

  「D」どの国も自分の国以外に他の国のことを多少知っているのが常識である。

  33、文中の「それ」とは何を指すか。

  「A」日本語の「ブリ」       「B」日本語の「ラクダ」

  「C」アラビア語の「ラクダ」    「D」日本語の「ブリ」とアラビア語の「ラクダ」

  34、この文章の内容に合わないものはどれか。

  「A」ある民族で当然と思えることでも、他民族では理解できないこともある。

  「B」対象に対する言葉が豊富になるのは、それに対する関心が深いからである。

  「C」「他」を知るということは、まず自身をよく知るということが大切である。

  「D」対象に対する言葉が貧弱であるのは、生活との関係が深くないからである。

  35、この文章に題目をつけるとしたら、もっともふさわしいものはどれか。

  「A」民族と文化          「B」生活と文化

  「C」国家と言葉          「D」文化と言葉

  四

  「地球は汚れているといわれるが、万一地球に住めなくなったら、どこかほかの天体へ移住すればよいだろう」という人がある。また、「汚れのない宇宙空間で生活し、ときどき宇宙船で地球へ働きに来ればよい」との夢を語る人もある。

  宇宙科学が発達し、人工衛星も改良されつつあるので、そんな宇宙時代が間近に迫っているという楽観説を流す人もいる。しかし、それはあまりにも無責任である。現在のところ、われわれが生物の存在を確認している天体は、この地球だけである。確かに宇宙は広くて全宇宙には約1000億個の星が地球と似た環境を持つといわれ、それに生物が存在する可能性は否定できない。

  しかし、それらは、現在の人間の能力をもってしてはとうてい到達できない宇宙の遥か彼方にある星である。また、人間の寿命が限られていること、人間を移動させるときに人体が耐えられる速度にも限りがあることなど考え合せると、未来に人間の住める可能性のある星が( ア )、そこへ行くだけで、何代もの人間が必要ということになってしまうに違いない。

  この地球が人間をはじめ多くの生物にとってかけがえのない星であることは、いくつかの条件を考えれば、納得ができるであろう。どうして太陽系のなかで、地球にだけ生物の存在が許されるのだろうか。それにはいくつかの理由がある。

  第1は、太陽からの距離が適当なことである。つまり、適当な太陽光を受けるので、水がすべて蒸発して水蒸気となったり、あるいは冷えすぎて氷になったりするのでなく、液体の状態で存在できる。このことが可能な太陽系の天体は、金星、地球、火星の3つしかなく、しかも地球はそれらのなかで中心に位置している。また、地球の太陽からの距離は植物が光合成を行うのにちょうどよい量の太陽エネルギーを得る距離である。

  第2は、地球の大きさである。その大きさに基づく重力の強さによって、酸素は窒素などの大気を地球の周りにつなぎとめておくことができる。もし、地球が月のように小さかったとしたら、重力が弱くて大気を周りにとどめておくことは難しいと考えられる。

  第3は、地球が自転していることである。自転によって、表面の一方だけが太陽光を受けるのではなく、地球全面に満遍なく(均匀)太陽光が注がれることになった。

  こうしたいわば天文学上の理由も、地球が生物にとってかけがえのない(无法替代的)星であることを示している。

  36、文中の「それ」とは何を指すか。

  [A] 地球が汚れてきて住めなくなってきているという説

  [B] 汚れのない宇宙空間は広大で、人間はいくらでも住むことできるという説

  [C] 宇宙科学が発達し、ほかの天体へ移住できる時代が間近に迫っているという説

  [D] 人間が住める環境をもった天体は、広大な宇宙には約1000億個もあるという説

  37、文中に「無責任である」とあるが、なぜ無責任というのか。

  [A] 人間が住める天体に移住するのは現在の人間の能力では不可能だから

  [B] 宇宙には無数の天体があるが、生物が住めるところはなさそうだから

  [C] 人間が住める天体には、われわれの地球と同様に生物が存在するから

  [D] 生物が存在できなくなるまで地球を汚した責任は人間自身にあるから

  38、文中の( ア )に入れるものはどれか。

  [A] 見つかったから        [B] 見つかったならば

  [C] 見つかったときに       [D] 見つかったとしても

  39、文中に「天文学上の理由も、……示している」とあるが、天文学上の理由として該当しないものはどれか。

  [A] 太陽と地球の間の距離が適当なので、太陽の光を適当に受けて水が液体の状態で存在できること

  [B] 地球が自転しているため、地球の表面に一方だけでなく、全面に同じように太陽光が注がれることになったこと

  [C] 地球の大きさが適当なので、酸素や窒素などの大気を周りにつなぎとめておくことができるくらいの重力を生み出していること

  [D] 植物が大気中の炭酸ガスを吸収し酸素を放出するという光合成を行っているので、地球上の大気には適度の酸素が含まれていること

  40、筆者がこの文章でもっとも言いたいことは何か

  [A] 他の天体に人間が行くには、何代もの人間が必要になるので、国際的協力と十分な準備が必要となる。

  [B] 地球は人間をはじめ多くの生物にとってかけがえのない星であるから、人間は地球を汚さないようにする責任がある。

  [C] 地球に似た環境をもつ星は全宇宙に約1000億個あるといわれているが、その中で人が住める星を確認しなければならない

  [D] 地球の汚れがいっそう激しくなる可能性があるので、他の天体へ人間が移り住めるようにするため、宇宙科学の発達を急ぐ必要がある。

  B、次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。

  41.現代人は、テレビのために、読書の時間を少なからず奪われているといわれる。ところが、このテレビによって、書物からはとうてい得ることのできない、いろいろな知識や楽しみを与えられることが多い。だから、テレビのために読書の時間が奪われるとするのは誤りで、むしろ読書のほかに、テレビを視聴することが増えたというべきだろう。

  42.しかし、テレビは映画と同じく、それを見る人間に絶対服従を要求する。見る人とは、常に受け身の立場におかれる。しかもテレビは見ている途中で、足踏み(停頓)をしたり、後戻りをしたりすることができない。私たちは、受け身の知識活動にばかり慣らされていると、いつの間にか自主的判断を失ってしまい、ものをつきつめて考える根気と能力とをなくしてしまう結果になる。

  43.読書はその点から考えると、積極的な知的活動を必要とする、しかも気に入った箇所は、そこで立ち止まってゆっくり考えたり、後戻りして読み返したりすることができる。

  44.近年、テレビの普及率がますます高まると同時に、本もよく売れているというのは大いに喜ぶべきことで、これは、テレビと読書の双方をたのしむ人が増加したことを示すものであろう。

  45.そこでわたしは、テレビと読書との新しい協力の仕方がないものだろうかと考える。書物では容易に表現できないもの、また、テレビではどうしても満足させることのできないものを、相互に補い合って、たとえば、視聴する書物、読むテレビといったものが作れないだろうか。

  Ⅲ.作文(25点)

  46.次の指示にしたがって、450字~500字の作文を書きなさい。

  私たちは何かの試合を見るとき、よく自分の好きなチームを応援するが、時には、相手チームを応援したくなることもあろう。「試合と応援」を題目に、あなたの考えを作文に書きなさい。

  注意:①漢字を使うべきところは漢字を使うこと。

  ②「だ・である」体で書くこと

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